戸田商行とSDGsについて海と森は繋がっている
14. 海の豊かさを守ろう
高知県産の木材を原材料として「もくめん」を製造している私たちが、海の豊かさを守るためにできる ことは何だろうか。ご存知ないかも知れませんが、海は河川を通じて森とつながっています。森には、 地表の落ち枝や落ち葉が分解され、森林土壌ができあがります。手入れがされない森林は光が届かない 暗い森となり、下草が育たず、落ち枝や落ち葉が分解される前に、土層とともに流れ出てしまいます。 そうすると豊かな海の生態系も奪われてしまいます。海の栄養は、山が造るとも言われています。この 森林土壌が豊かな海のスタートとなるのですが、間伐などの手入れがなされず、森林が荒廃していると 事情が変わってきます。世界の海では、海洋プラスティックゴミの問題やサカナの乱獲が取りざたされ ており、海は豊かさを失いつつあります。陸地に沿った沿岸域には、河川から流れ込んだ豊富な栄養素 があり、海全体の生物の70%の魚介類、海藻、プランクトンが生息、生育するといわれています。
現在「もくめん」は緩衝材として、多くの企業で採用して頂いていることからも、少しは脱 プラステックス社会に貢献できているのかなと感じています。海を守るためには、木をもっと利用し、 山に経済的な価値を与え、伐って、使って、植えて、育てるサイクルを回すことが必要です。そのことで 「海は河川を通じて森とつながっている」ことを知っていただきたいのです。
私たち戸田商行では、84%の森林率を誇る高知県の
未利用資源である木材を利用することで、森林を守り育てること、
また豊かな海の保全に寄与します。
SDGsと環境マネジメントについて
子供のころからの環境と変化した今
森林率84%、緑の山々に囲まれ、自然あふれる高知県。
私が生まれたのは、全国水質ランキングで5年連続1位を獲得し、近年テレビでも取りあげられるようになった「仁淀川」が流れる、吾川郡伊野町(現在のいの町)で、高知県の中央部に位置します。
その町で、昭和41年に生を受けます。
祖父母、両親、妹の6人家族。
近くには4軒の長屋があり、借家人もいらしたので、人の声がいつも聞こえる賑やかな環境で育ちました。
小学生になるまで、家のお風呂の熱源は薪でした。
鉄製の風呂釜にお水を張り、風呂釜の外真下に汲められた薪に火を入れて沸かします。
手際よく薪に火を灯す祖母や母の姿を、ゆらゆら燃える炎とともに見守りながら、なぜか幸せな気持ちがしていたことを思い出します。
夏は、緑の濃い山の中を縫うように流れる仁淀川で毎日を過ごします。
泳ぐのは、下流域の鉄橋下。
仁淀川は、奇跡の清流と呼ばれていますが、当時は、現在よりも水の透明度が高く、魚を追いかけたり、ゆったりとした流れに身を任せたり、冷たい川の中で唇が真っ青になるまで、泳いで育ちました。
映画『ALWAYS 3丁目の夕日』の世界が、私の原風景です。
現代ほど物質的には豊かでありませんでしたが、自然とともに過ごした、心が豊かな時代でした。
時代は高度成長期、その中で青春時代を過ごしていきます。
戦後復興を果たした日本は、1955年(昭和30年)から始まった経済成長で、年平均10%以上の高い伸び率は、私たちが小学生になるまで続きます。
その頃、エネルギーは石炭から石油に変わり、太平洋沿岸には石油コンビナートが立ち並び、新幹線や高速道路網の整備も進みます。テレビ、洗濯機、冷蔵庫は三種の神器と呼ばれ、急速に家庭に普及していきました。
豊かな時代が到来し、人々が明るい未来への希望を抱いたころ、その陰では、後に問題となる工業化に伴う急速な環境破壊が起こっていました。
「水俣病」や「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」、「第二水俣病」といった各地の公害病の発生を耳にし、身近なところでは、大量生産の裏返しとしてのゴミの処理問題、大気も汚れ、公害は、高度経済成長期後半になると深刻化していきます。
私が住んでいた伊野町は、製紙業が産業の中心で、実家の周辺には製紙工場がいくつもあり、近くを流れる川は、製紙会社からの排水で汚れ、いつも刺激臭がしていました。
川は悪臭の素となり、公害は対岸の火ではなく、身近な出来事となっていたのです。
近代化の前に美しい自然を失うことは仕方のないこと、大人の都合、社会の合理性。
経済的に豊かなで、便利な生活と引き換えに、自然は犠牲になっても仕方がない、豊かな自然を前に、その治癒力に期待していた面もあったかもしれませんが、時代は利便性を追い求め、近代化は進んでいきました。
「何かを手にすれば、何かを失う。けれど手にしたものはなかなか手放せない」
子供心に、将来への期待と引き換えに、身近にあった当たり前の風景を失っていくことに、あきらめを感じたことを覚えています。
脅かされる食の安全
その頃を境に、食生活もどんどん豊かになりました。
人生最初にハンバーガーを食べたのは、小学校4年生の時。
熱々のハンバーガーは初めての食感に香ばしさもあり、衝撃の美味しさでした。
インスタントラーメンは、たくさんの種類が発売され、手軽に食べられることから、爆発的に食卓に拡がりました。真っ赤なウインナーはお弁当の定番で、ポテトチップスなどのスナック菓子もおやつの代名詞でしたが、同時に、食品添加物の弊害も関心を集めるようになり、アレルギーの原因や発がん性の問題も指摘されるようになります。
昭和30年代から始まった高度成長は、日本の近代化を急激に推し進め、便利で豊かな暮らしと引き換えに、私たちは、安心と安全を少しずつ手放していったのでした。
成長した私が、最初に日本の安全、安心に疑問を感じ始めたのは、母親となり二人の愛娘を育てることになった時でした。健康な人間の体を作っているのは、口にする全てのもの、食事です。「食」に対する関心が一挙に高まりました。
子供が産まれるまではあまり気にしていませんでしたが、買い物をするとき、食品表示を必ずチェックし、出汁はカツオ節や昆布で引き、冷凍食品や加工品は使わず、全て手作りをし、気を配っていました。
手間のかかる凝ったものばかりを作っていたわけではありませんでしたが、地域で収穫された旬の食材を選び、作りたてを食卓に供し、食を任された責任のある母として、調味料にもこだわりました。友達を集め、手作り味噌を作り、食育活動もしていきました。
食事には気を使いながらも、反面自分の力ではどうしようもないものとして、限界を感じていたのは、お米や野菜の残留農薬や食品添加物、海洋汚染による魚の安全性やお肉の品質でした。
無農薬で自家菜園をしていた近所の友人は、近所で同じように自作農している方が、農薬を使うため、害虫が集中し、無農薬を断念しなくてはならなくなりました。農薬のほかにも、食品の偽造や虚偽表示、家畜の病気、気にしすぎると店頭で得られる食品がなくなってしまう。
私たちの暮らしの中は、口にするものでさえ、多くの化学物質が関わり、天然自然のものは数少なくなっていきました。
プラスティックによる汚染
「食の近代化」「食のスタイル」によって暮らしが豊かに便利になっていく中、プラスティック製品も生活の中に氾濫していきます。
プラスティックの起源は古く、1835年にフランスでポリ塩化ビニルが発明されます。そこから発展し、第二次世界大戦後にポリ塩化ビニールや、ポリエチレン等が生活に登場します。
1960年以降はポリエチレンを始めとする、汎用プラスティックが大量生産されて、衣料や生活環境に浸透していきます。
プラスティックは、軽くて丈夫で、耐水性があり、安価な素材です。
食品容器や、飲料用ボトル、レジ袋などに姿を変えて、私たちの暮らしを便利にしてくれました。また、野菜や食品の包装袋に利用されることで、食品の賞味期限を延ばすなど、経済的にも残材を作らないとする、社会的によい面もあります。
生活の中では手放せないものとして、私もプラスティックを利用する生活でした。
外出先で喉の渇きを感じると、ペットボトル飲料を気軽に購入します。何より軽くて、手軽に携帯できること、ペットボトルはリサイクルもされているという安心から、罪悪感もありませんでした。
ところが、廃プラスティックが年間800トンも海に流れ込み、海洋汚染が深刻化しているという問題が明らかになります。プラスティック製のレジ袋が、完全に自然に分解されるまで、1000年間必要とする研究もあり、海に流れ込んだプラスティックは、長時間自然に悪影響を与え続けます。企業がプラスティックの使用を取りやめるというニュースをきっかけに、世界中でプラスティックごみへの関心が急速に高まってきました。
リサイクルのマジック
このニュースを契機に、海洋汚染や、リサイクルに関心が高まるなか、私が最も驚いたのは、「世界の優等生」と言われていた日本における包装容器類のプラスティックのリサイクル率84%の数字にマジックがあるということでした。
日本のプラスティックリサイクルには3つのリサイクルの方法があります。
まず、「ケミカルリサイクル」、いわゆる使用済みの資源を、化学反応により組成変換した後のリサイクルです。廃プラをひとまず分子に分解してからプラスティック素材に変え、何度でも再生するもので、リサイクル全体のなかではわずか4%です。
次に、「マテリアルリサイクル」、使用済製品などを、新しい製品の材料や原料として使うことです。ペットボトルごみがペットボトルごみに生まれ変わるとか、廃プラが駅ホームのベンチやバケツに生まれ変わるなど、モノからモノへと生まれ変わるリサイクル方法です。リサイクル全体の23%を占めていますが、そのうち15%は中国に輸出してリサイクルされていれ、国内では、たった8%がリサイクルされているだけです。
最後に、「サーマルリサイクル」、廃棄物の焼却熱を、回収した廃棄物選別後の残渣処理などに使用しています。ペットボトルなどのごみを焼却炉で燃やし、その熱をエネルギーとして回収する仕組みです。日本のプラスティックリサイクル84%のうち56%はこのサーマルサイクルが占めています。プラスティックは、もともと原油が原材料ですので、よく燃えて高温になり、よい燃料となります。
ただ、リサイクルには「循環する」という意味があり、形状や用途の違う製品になるのは正確にはリサイクルではないという論調があり、海外では、サーマルリサイクルという言葉はなく、リサイクルとしてみなされていない現実があります。
リサイクルの世界標準は、きちんとものに生まれ変わるケミカルリサイクルや、マテリアルリサイクルという事実。
日本ではリサイクルとされている84%のうち、56%が炉で燃やされているというのが現実なのです。
しっかりと回収されリサイクルされていると信じていたプラスティックは、燃やされ、また、利用者の安易なポイ捨てなどにより、環境に深刻な影響を与えていたのでした。
じわじわと自然環境を破壊していたことに気がつき、愕然とします。
私たちができることを考えた時に、大手書店のエコロジーバックや、アメリカ発の食料品チェーン店のバックがおしゃれアイテムとして注目を集めたこともありましたが、使い捨てレジ袋の使用はできるだけ控え、マイバックを持参することは容易に取り組めることの一つです。ペットボトルの使用を控え、マイボトルを携行することもまた、一つの方法です。
完璧にできなくとも、まずは、身近なところから取り組んでいくことはできるのではないでしょうか。
使い捨ては確かに便利ですが、みんなが少しだけ気にかければ、ゴミを減らすことができます。手間を惜しまず、使い捨てをなくす「環境に優しい商品」を試してみるのはいかがでしょうか。
自然環境を守り、持続可能な社会を残していきたい。
高知県は森林率が84%という世界でも有数の森林県です。
先進国での森林率世界No.1はフォンランドで73.9%、2位は日本の68.2%、3位はスエーデンの66.9%です。
都道府県レベルではありますが84%という数字は世界でも有数の森林率で、高知県は世界でもトップクラスの森林地域ということになります。
戸田商行は世界レベルの森林地域である、高知県の木材を原材料とした木毛製造業を昭和36年に創業しました。当時、山仕という、山林を歩き、木立の売買をする仕事をしていた義父は、園芸品の緩衝材として需要が高まっていた木毛(もくめん)に将来性を見出します。
自宅の横に倉庫を建て、一台の木毛製造機を購入します。自ら山で木材を切り出し、トラックで運び、木毛を作り始めます。自宅の横に倉庫を建て、1台の機械から木毛を削り始めた両親は、地元や、四国、九州の園芸作物の緩衝材などの需要に支えられて、販売を伸ばしていきました。
昭和40年代に入り、機械を6台に増設し、大型乾燥機を備えた、当時は全国で最大規模クラスの木毛製造工場を建設し、需要に応えていきます。昭和の時代は、物は作れば売れる時代でした。販路を確保すれば、緩衝材というリピート商品は、営業をしなくても売れていました。
しかし、平成に入ると、ただ物を作っているだけでは売れない時代になっていきます。
2015年(平成27年)、私は社長に就任しましたが、地方の製造業は漫然とものづくりだけをしていては、生き残っていけない。自らの言葉で木毛の良さを伝える必要性を感じ、都市圏の展示会に参加するようになります。
たくさんのお客様との出会いがあるなか、当社の木毛を長年利用して下さっているお客様に出会いました。その時に思いもかけない言葉をかけられます。
その方は、長年大手の青果店に勤務され、果物のラッピング用として、木毛を使っていたと、話してくださいましたが、利用する度に、「天然の木を使用した木毛を使うことは、環境破壊に加担しているのではないかと、罪悪感があった」とお話して下さったのです。
私は、日本の森林事情、森を守る仕組み、自然環境の循環性についてお伝えし、木毛をお使いいただくことの有用性をご説明したところ「お話しができて良かったです。胸のつかえが取れました」と晴れやかな顔で帰っていかれました。
私は、もしかしたら多くの方が、同じ誤解を持っているのではないかと、思い至りました。
国産の木材を利用する事は悪いことなのか
ある頃、割り箸を使うことはもったいない、自然環境を破壊するという理由から、マイ箸運動が起こりました。マイ箸運動とは、外食先で使い捨ての割り箸を使わず、自分用の箸を持ち歩こうという運動です。
割り箸は、日本の木の文化から生まれたもので、割り箸を「割る事」は祝い事や神事などの「事をはじめる」という意味を持ち、大事な場面には真新しい割り箸が用意されていました。
吉野の樽材として使っていたスギの端材を有効に活用することから生まれたものですが、マイ箸ブームが起こったころから、天然木を使うことは悪いことという、排他論が主流となり、日本の割りばし業社は数々と廃業に追い込まれました。
マイ箸運動の他にも、海外の森林皆伐による砂漠化から、木を伐ることは環境破壊につながるというイメージを持つ人も多いようです。
確かに、世界では、特にマレーシア、インドネシアをはじめとする東南アジアと、世界最大の熱帯雨林アマゾンを要する南米で、自然回復力を上回るスピードでの森林伐採や焼失が原因で、世界の森林面積の減少が深刻化しています。
では、日本の森林事情はどうなのでしょうか。
終戦後、主要な都市が戦災を受け、復興のために大量の木材を必要としたことから、日本の森林は大量に伐採されました。
このような戦中・ 戦後の森林の大量伐採の結果、戦後の森林は大きく荒廃し、昭和20年代及び30年代には、各地で台風等による大規模な山地災害や水害が発生しました。
このため、国土の保全や水源の涵かん養の面から、森林の造成の必要性が国民の間に強く認識されるようなります。
昭和25(1950)年頃から、戦後の混乱期を脱し、経済はようやく復興の軌道に乗るようになり、住宅建築等のための木材の需要が増加します。
一方、昭和30年代以降は、石油やガスへの燃料転換がおこなわれ、広葉樹の里山林がそれまでのような薪炭用林として利用されなくなってきました。
当時は、針葉樹を中心とする、建築用材、土木建設用材のための需要が大きかったのに対し、木材の供給量が追い付かず、木材価格は高騰していきます。杉や桧を植えることは、経済的価値を産むようになり、銀行に貯金することより価値があることのように言われた造林ブームが起こります。
その後、昭和35年に、木材輸入の自由化が段階的に進められ、昭和39年には完全自由化となり、国産材が高騰する一方で、大量で安定的に供給できるメリットを生かした、外国産材の輸入量が年々増大していきます。昭和46年には変動為替制度が導入され、円高が進んだことにより、益々入手しやすくなりました。
昭和50年代に入ってからは、木材需要が頭打ちとなり、それ以降の円高の推移により外国産材の輸入がさらに増大し、バブル景気崩壊後の景気後退による、木材需要の減少も加わり、国内の木材価格は長期的に低迷するようになります。
このような状況のなか、日本の林業は停滞し、間伐が行われず、森林荒廃が進むようになっていきます。昭和30年には日本の木材の自給率は9割以上ありましたが、今では2割に落ち込んでいます。
造林政策によって生まれた多くの木材は、現在、収穫期を迎えていますが、伐採されないまま放置されている森林も目立ちます。
国では、平成22年に「公共建築物等における木材の利用に関する法律」が制定され、平成24年には「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」に基づく再生可能エネルギーの固定価格買取制度が開始され、各地で木質バイオマスによる発電施設の整備が進められました。また現状を打開するために、経済界を中心に、貴重な地域資源である森林を活用し、これまで木材が余り使われてこなかった非住宅、 中高層建築物の木造化・木質化を進める様々な取組が各地で進行しています。
日本では古くから、木材を建築、生活用品、燃料等の様々な用途に使ってきました。
木材は、調湿性に 優れる、断熱性が高い、リラックス効果があるとともに、再生産可能な省エネ素材でもあります。我が国の人工林の多くが本格的な利用期を迎えている現在、木材の利用を推進し「伐って、使って、植える」という形で資源の循環利用を進めることは、循環型社会の形成や、地域経済の活性化にも資するものです。
さらに、山に経済的価値が生まれることで、森林整備が進み、台風や大雨からくる土砂災害を防ぎ、また二酸化炭素を吸収することによる、地球温暖化防止に貢献する動きが期待されます。
当社で製造している木毛は、高知県産の原木を仕入れ、皮をはぎ、カットをして、もくめん製造機で、そうめん状に加工します。加工したばかりのもくめんは湿っていますので、80度の温度の乾燥機で10分間乾燥します。
剥いだ木の皮や端材は乾燥機の熱源とし、廃材を出さない100%循環型製造工程で製造しています。
豊かで、美しい環境の実現を考えた時、もくめんのような、生分解性の機能を保持した、天然素材100%の素材は、今後はさらに、必要とされる素材であると考えています。
SDGSの取り組みについて
国連では持続可能な開発目標(SDGs)が採択されました。
持続可能な開発目標(SDGs)とは,2001年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継として,2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標です。
2015年、各国は「持続可能な開発のための2030アジェンダ」とその17の「持続可能な開発目標(SDGs)」を採択しました。2016年には気候変動に関するパリ協定が発効し、地球の気温上昇を抑える必要性に向けた取り組みが始まっています。
SDGsの背景には、人々の強い危機感があります。
- 世界中の人が先進国の暮らし方をすると、地球が2、3個必要
- 世界の最富裕層の1%が、世界の富の50%以上を所有
- 自然災害は1970年代と比較してこの10年間は発生件数、被災者数が約3倍に
- 2014年の紛争・戦争の死者数は、前年と比較し28%増加
今がよければいい、自分たちがよければそれでよい、など次の時代や世代のことを考えず行動していては、持続可能な社会の実現はありません。
SDGsの17の目標
- 貧困をなくそう
- 飢餓をゼロに
- すべての人に健康と福祉を
- 質の高い教育をみんなに
- ジェンダー平等を実現しよう
- 安全な水とトイレを世界中に
- エネルギーをみんなに そしてクリーンに
- 働きがいも経済成長も
- 産業と技術革新の基礎をつくろう
- 人や国の不平等をなくそう
- 住み続けられるまちづくりを
- つくる責任 つかう責任
- 気候変動に具体的な対策を
- 海の豊かさを守ろう
- 陸の豊かさも守ろう
- 平和と構成をすべての人
- パートナーシップで目標を達成しよう
SDGsには17の目標があり、持続可能で強靭、そして誰一人と取り残さない、経済、社会、環境の総合的向上が実現された未来への先駆者を目指すというビジョンがあります。
当社のような小さな企業でも、取り組んでいけることがあるのではないか、戸田商行で取り組んでいけることは何かを考えました。
当社所在地である高知県土佐市は太平洋(外洋)に面しています。木毛は高知県の森の恩恵を受けており、森からの水は山を下り、やがて土佐市を流れる仁淀川に下って最後には、太平洋に流れ込んでいます。
海の豊かさを守るという環境問題への取り組みは、人類共通の課題であり、企業の存在と活動に必須の条件となり、企業自らが主体的に行動していく必要があるのではないでしょうか。
世界の海洋は、温度、科学的性質、海流、生物を通じ、地球を人間が住める場所にしている原動力となっています。
雨水、飲料水、気象、気候、海岸線、私たちの食物の多く、さらには私たちが吸い込む大気中の酸素でさえ、海が提供、制御しています。
また、海洋は有史以来、交易と輸送に欠かせないルートにもなってきました。
この不可欠なグローバル資源を慎重に管理することは、持続可能な未来への鍵を握っています。
しかし、現時点では、汚染による沿岸水域の劣化が続いているほか、海洋の酸性化は、生態系と生物多様性の機能に悪い影響を与えています。
近海で行われる小規模漁業にも悪影響が及んでいます。
海洋保護区を実効的に管理し、しっかりと資金を供給する必要があるほか、乱獲や海洋汚染、海洋の酸性化を抑えるための規制の導入も必要となっています。
海洋は地球の表面積の4分の3を占め、地球の水の97%を蓄え、体積で地球上の生息空間の99%を占めています。海洋と沿岸部の生物多様性に依存して生計を立てている人々は、30 億人を超えています。
- 世界全体で、海洋と沿岸の資源と産業の市場価値は年間 3 兆ドルと、全世界の GDP の約 5%に相当すると見られています。
- 海洋には、確認できているだけでおよそ 20 万の生物種が生息していますが、実際の数は数百万に上る可能性があります。
- 海洋は、人間が作り出した二酸化炭素の約 30%を吸収し、地球温暖化の影響を和らげています。
- 海洋は世界最大のたんぱく源となっており、海洋を主たるたんぱく源としている人々は 30 億人を超えています。
- 海面漁業は直接的または間接的に、2 億人以上を雇用しています。
- 漁業への補助金は、多くの魚種の急速な枯渇を助長するとともに、世界の漁業と関連雇用を守り、回復させようとする取り組みを妨げており、それによって海面漁業の収益は年間 500 億米ドル目減りしています。
- 外洋地点の観測によると、産業革命の開始から現在までに、酸性化の水準は26%上昇しています。
- 沿岸水域は汚染と富栄養化によって劣化しています。協調的な取り組みを行わなければ、沿岸の富栄養化は2050年までに、大型海洋生態系全体の20%で進むものと見られています。
現代人が使った大量のプラスティックゴミが海洋に流れ込み、海洋生物や海の環境に深刻な影響を及ぼし、人体への影響すら懸念される事態となっています。
日本は使い捨てプラスティックの国民一人あたりの使用量がアメリカに次いで世界で2番目に多いとされています。
消費者の意識も大きくかわりつつあり、今後、急速な対応を求められることは間違いありません。このような流れを受けて近年は日本でもレジ袋やストローなど、プラスティック製品の使用を取りやめる企業や、自主的なプラスティックごみ削減に向けた宣言をする自治体も出てきています。
世界は「ニュー・プラスティックエコノミー」と呼ばれる循環型の産業構造へ転換しかかっているという指摘もあり、今後は、持続可能は商品である木毛(もくめん)は、世界を席巻する可能性を秘めています。
「もくめんは世界を救う」、そのような気概をもって取り組んでいきます。
参考
平成30年森林・林業白書
森林林業学習館
国際連合広報センター