改めましてですが、木毛(もくめん)は、木材を原材料とした天然の緩衝材です。
始まりは明治時代。明治天皇に謙譲する果物に使用するため、岡山の大工さんが作ったのが始まりと言われています。
主にメロンやマンゴーなど高級な果物類や、様々な商品にモジャモジャと入っている素材ですが、もし見かけることがありましたらそれはかなりの確率で戸田商行の木毛です。
なぜなら、昭和40年代に日本で120社あった木毛業者が、今では専業で木毛を作っているのは、戸田商行1社のみとなったからです。
緩衝材といえば、木毛しかなかった時代を経て、誕生から100年程度で急速に衰退した素材といえます。
これが「日本最後の木毛業者」の所以です。
衰退した主な原因は、安価で使い勝手の良い化学性の緩衝材や、その他代替え商品の登場です。
現在、木毛産業は風前の灯となっていますが、そんな状況でも、私たちは持続可能な高知県産の木材を使い、職人技で安心安全、本物のもの作りをしているという自負を持ち、木毛製造の技術を次世代に引き継いでいこうと日々精進しています。
2015年、夫の政界進出により戸田商行を引き継いだ時、業績は大変厳しい状況でした。
地方の製造業で、しかも超の付く衰退産業を引き継ぐ嫁など普通はいない、と言われたこともありました。
それでも、私が木毛産業を続けたいと思ったのは、最後の1社として生き残った理由にミッションを感じたからです。
戸田商行が生き残った理由とは。
一つは、義父が作った木毛工場は全国的に規模が大きく、最盛期の需要に応えることができたこと。
二つ目は、工場が高知県の自然豊かな中山間部に位置し、固定資産などのコストを抑えることができ、地域の皆様のご理解をいただきながら操業を続けられたこと。
三つ目は、義父が木毛の品質にこだわり、お客様から選ばれてきたこと。
嫁いでから、義父と一緒に仕事をする中で、もくめん作りへのこだわりを側で見ていました。木毛の品質は、職人の技もさることながら、機械の精度や刃物の手入れで決まります。
機械や刃物のメンテナンスを丁寧に行い、緩衝材という脇役でありながらも、美しいもくめんを提供しようという姿は、日本人の美意識を投影しているとさえ感じました。
義父が木毛作りに一生を捧げてきた思い、また、この貴重になった木毛という素晴らしい素材を引き継いでいく義務が私にはある。
また、長い間戸田商行を見守って下さる地域の皆様にも御恩返しがしたい。
今でも、その思いは変わらず持ち続けています。
2050年カーボンニュートラル及び2030年度削減目標の実現に向けて、いよいよ環境意識が高まりを見せ始め、SDGsへの取り組みはマストの時代を迎えています。
今までは、間伐材の利用など限定的な素材選びからのお問い合わせが多くあり、環境への関心はあるものの持続可能な木材資源の活用についてまで理解している方は、まだ多くないと感じています。
戦後の造林政策で植えた木材が伐採期を迎えているにも関わらず、放置され山が荒廃していること、木材は持続可能な素材であり、伐採し、使用する、そして植えて育てることが健全な森林の育成につながり、住みやすい環境や資源確保につながること、木毛製造には、二番玉という使用用途が少ない部分の木材を使用し、資源活用に貢献していること。
木毛は、木材を丸太で仕入れ、皮を剥ぎ木毛に加工し、乾燥させただけのノンケミカルで、生分解性の安心安全な素材です。製造工程で排出される木の端材や皮を木質バイオマス型ボイラーの燃料とし、廃材を出さない100%循環型工程で製造しています。
この製造工程は、環境に優しいだけではなく、燃料コストを抑えることに繋がっており、戸田商行が最後の木毛工場として生き残ったもう一つの理由と考えており、63年前にこの設備を作ってくれた義父には本当に感謝しています。
もくめんは古くからある素材ですが、今また未来を感じる素材として存在感を増しています。
もくめんに関わって生きていけること。
今まで支えてくださった皆様の感謝をしながら、これからも木毛を作り続けていきたいと思っています。
社長 戸田実知子